ともに生きる仲間
鶴見俊輔

九条の会の発起人の人選に、私はかかわっていません。ある日、電話がかかって、こういう会をはじめるが、その発起人になってくれませんか、ということで、即座になりますと答えました。
発起人の会に行くと、そこではじめて九人の顔合わせがありました。
そのうち三人は亡くなりました。加藤周一、小田実、井上ひさしです。

亡くなった人の仕事を読み返して、こういう人たちをよくぞ選んだと思います。はじめて読んだ井上ひさしの『日本語教室』には、言語についての理論をよく消化し、自分の言葉で語りなおすところがすごい。小説『吉里吉里人』と通底し、その裏づけの役を果たしているように感じます。

小田実の作品では『オモニ太平記』にほとほと感心しました。かつて彼が開高健と共に書いた『世界カタコト辞典』(一九六六年)を、一つのところに焦点を定めてくわしく書いた本だと思いました。小田実には、智恵がある。その智恵が、残されたメンバーの肉体の中によみがえってくることを望みます。

そして加藤周一。彼の『日本文学史序説』を読み返すと、日本文学を通して日本思想史を書いた作品として、新しい刺激を受けます。日本思想史を、日本文学史のかたちを借りずに書く道は、あるとは思えません。

ここに、故人と生き残りと、あわせて九人の呼びかけ人から、新しい世代へと声を届けたいです。


世直しのとき
澤地久枝

三月十一日、東京の自宅で思ったことは、自然の力の大きさと、人間存在の小ささだった。自然災害は逃れがたい。しかし「戦争」はそうではない。今日までの自分の生き方、選択を思い、ほかに選びようがなかったと改めてつよい気持をもった。

つづけて原発の事故である。チャイナ・シンドロームといわれる炉内溶融をすぐに連想し、子どもたちの集団疎開が必要ではないか、と考えた。しかし、どこへ、いつまで。大津波到達の予想図は、北海道から沖縄まで、それが日本列島なのだ。地震列島の上でいとなむ日本人の生活。いま、「運命共同体」の船に乗り合わせて、この国の姿を根本から変える方向へ舵を切るべく、原点というべきものが日本国憲法だと思う。

戦争放棄の第九条と生存権にかかわる第二十五条に力をもたせ、それを砦として世の中を変えてゆきたい。まず、全原発廃止の方向を目ざす意思表示から。小田実は「一人からはじめる」と書いたそう。しかし、「一人」ではない。


変革めざす全市民的議論を、いま
奥平康弘

トンデモナイ事態に陥りましたね。でも、考えようによっては、こういう目に遭わなかったならば、私たちは国家社会の変革という契機をつかめないままで、リーマン・ショックから抜け出して旧来秩序に戻し、“一等国”に成り果せようと、あらぬ路線にしがみついていたのではないでしょうか
(ちなみに、先日、四月二八日、超党派「新憲法制定議員同盟」の大会で、「大規模自然災害にも即応出来る憲法をつくろう」というスローガンが付け加えられたという。「憲法を新しくする絶好の機会だ!」とあいさつする政治家もいたという)。

復興、復興と草木もなびく勢いですが、“被害”の多くは――原発積極策が典型であるように――過去の政治経済の誤算に由来します。過去をきちんと清算しつつ、新しい変革途上にある世界に向けて日本いかにあるべきか、議論を起そうではありませんか。日本国憲法は、全市民が自覚的にこの議論に参加し、おのおの応分の役割り分担を担うよう要請しています。


決意した、ということ
大江健三郎

森のなかの新制中学で、先生が教育基本法を読み上げました(いまの、改正されたものより、文章がずっと良い)。……この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
――よし! と私がいったので、みんな笑い、自分も笑ったものです。

しかし、長い人生の時、私は子どもの自分の声を思い出すことがありました。加藤周一さんから、憲法九条の会を呼びかけないか、と伝言があった時も、――よし!と
……
呼びかけた私らの数は少なくなるけれど、会はそれぞれの活動によって、勢いを大きくしています。やがて私も居なくなった時、思い出してもらうきっかけをひとつ、と考えて、憲法前文②の一節を声に出しておきたい。「……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」、その決意した、というところ。

学習・討議資料として、転載・ご紹介しています。
【参照先】 「九条の会」ニュース 2011年6月8日第148号