63年前の「平和おどり」をもう一度
(京都新聞2010年09月07日より)

 1947年5月の新憲法公布にあわせて京都市東山区の円山公園で発表され市民3万人が踊ったとされる「平和おどり」の手がかりを、当時発表会に参加した京都市中京区の川井禎子さん(79)が探している。当時の新聞で楽譜と歌詞は見つかったが、振り付けやレコードの所在は不明だ。戦後65年。戦争の記憶が薄れる中、「平和の原点を見つめ直したい」と来年の憲法記念日に仲間たちと踊りの再現を目指す。

 平和おどりは、京都新聞社が新憲法公布前に紙面で歌詞を公募した。作詞家西條八十や歌人吉井勇らが審査員を務め、千点以上の応募作から上京区の商事会社勤務の28歳男性(当時)の作品を選んだ。

 同年4月には紙面で楽譜と歌詞を紹介。記事には、4月19日午後1時から円山公園音楽堂で発表会が開かれ、歌手の田端義夫さんが歌い、振り付け指導もあって約3万人の市民が踊ったとある。

 川井さんは当時、中京区の国民学校に勤務し、同僚と発表会に参加した。戦時中、父が軍需工場で働いていたため舞鶴市に住んでおり、何人もの知り合いが戦地に散った。両腕を交差させる振り付けの一部を再現しながら「やっと平和の時代が始まるという開放感が印象的だった」と振り返る。

 しかし、発表会に一緒に参加した友人はまったく覚えていなかった。「80歳を前にもう一度、あの時の気持ちを見つめ直し、若者にも追体験してほしい」と資料を探し始めた。

 当時、レコードを制作したテイチクエンタテインメント(東京都)によると「星の流れに」を歌ったことで知られる歌手の故菊池章子さんが歌い47年5月に発売されたが、レコードは残っていないという。

 当時はGHQの意向を受けた憲法普及会が新憲法の理念を浸透させるために作った憲法音頭もあったが、普及会は1年で解散し、音頭も冷戦時代になって忘れられていったという。川井さんは「平和おどりが戦後になぜ定着しなかったのか。関係者の証言を記録にとどめたい」と話す。

 情報提供は川井さんTEL075(311)7655(ファクス兼用)へ。

憲法9条京都の会 事務局